死に体(しにたい)は、相撲用語で姿勢のバランスが崩れた状態を指す。
「体(たい)がない」「体(たい)が死んでいる」ともいう
Wikipediaより


武士道とは死ぬこととみつけたり。

「死に体」とはすなわち、剣先を喉元に突き付けられた状態で
どうあがいても死んでしまうような状態のこと。


果たして死ぬとは一体なんなんだろうか?
寿命が来て、ただ命を失うことなのだろうか?

それはどういうことだろうか?







FF零式というゲームの中で死ぬとその人の存在が
記憶から無くなるという設定がありました。
絶体忘れないから!って思っていても徐々に忘れてしまう哀しさ。
たしかに哀しみや絶望から立ち直るためには
忘れることも大事なのかもしれません。



たとえ命が尽きても
誰かが覚えていてくれるだけ痕跡があるだけで
それは生きてるって証なんじゃなかろうか?


だから人は何かを残す、、絵や音楽や、子供、、
そこにいたんだよっって証を紡いで生くんだと思う。
忘れないでね。。




逆に生きているのに誰にも存在を認められないのは
死んでることと同じなのかもしれない。


例えば、何十万人と人が集まるコミケで一冊も売れない我がサークル
さらにアクセスの無いこのゴミブログを書いてる陰謀団はすでに死んでいるのかもしれない、
いや死んでいるw!!!



ただイノッチがまだある限り、生きたいと思える意志がある限り漫画を描きつづけ
誰かを照らすこともないのに暗闇の中その灯は消えずにうすぼんやりと
燃えつづけるのだろう。

残酷だ。あぁ。。死に体。